花祭り
江戸時代は陰暦の4月8日に日本中の寺院でお釈迦様の誕生日として「花祭り(潅仏会)」が祝われ、甘茶をお釈迦様にかける行事が行われていました。
明治になると川越の大部分のお寺では新暦4月8日の行事としておりますが、
ここ新河岸では花が一斉に咲き始める旧暦に近い5月6日、月遅れのお祭りになりました。
今年も令和元年5月6日 地元有志により「釈迦如来誕生和讃」など4曲のご詠歌が奉納され、
その後、稚児代表男女ふたりが釈迦讃嘆の詞を朗読し、お釈迦様に甘茶をかけてお祝いをしました。

「潅仏会」
お釈迦様が誕生のとき、九体の龍神が天から降りてきて、香り高い湯を注いだとか、天から甘露水が降り注いだとか、あるいは2頭の像が水を浴びせたとか、色々の説があるようですが5種類の香水をかけてお釈迦様の誕生を祝うのが寺院で行われている本来の潅仏会(かんぶつえ)というお祭りです。
潅仏会の「潅」とは「そそぐ」という意味で、釈迦牟尼の生誕のときに右手で天、
左手で地を指して「天上天下(てんじょうてんげ)唯我独尊(ゆいがどくそん)と云いながら7歩 歩いたという伝説にもとづいた「誕生仏」像に香水を「そそぐ」から
「潅仏会」なのだそうです。別名「浴仏会(よくぶつえ)」「龍華会(りゅうげえ)」と
呼ばれるのも、この伝説と関係があるのかも知れません。

「蓮花院」
新河岸の観音堂は江戸時代までは、古谷本郷の「灌頂院(かんじょういん)」の
末寺で「蓮花院」と呼ばれる天台宗のお寺でした。
いつの時代から「花祭り」の行事を行うようになったのかわかりませんが、花御堂
の台座蓋には、昭和7年5月と記述されていますので、この頃は新河岸の年中行事
として定着していたと思われます。昭和の62・3年に一時途絶えましたが、
新河岸氏子会として子供も大人も一緒に参加し、思い出となる素朴なお祭りが
必要と、平成15年からこの「花祭り」を復活しました。

今年も令和元年5月6日 最初に、氏子総代長から挨拶があり、続いて、地元有志により「釈迦如来誕生和讃」など4曲のご詠歌が奉納され、さらに、男女児童代表二人から釈迦賛嘆の祝詞が読み上げられました。
参加者それぞれがお釈迦様に甘茶を掛け、参加した方には甘茶とお菓子が振舞われました。

ご詠歌の奉納 1.「淨邦のご和讃」2.「地蔵菩薩のご和讃」3.「釈迦如来誕生のご和讃」4.「花のご和讃」 
最後に 「回向文」 (仏道への感謝と誓いのことば)の宣言


ご詠歌の奉納

釈迦讃嘆の詞を奉納する稚児代表


お釈迦様に甘茶をかける稚児







水鉢にもたくさんの花

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